オブリビエイト
今更の話になるけれど、ポケモンってやっぱり面白い。
去年の11月ごろにポケモンの新作、「ポケットモンスタースカーレット・バイオレット(以降ポケモンSVとする)」が発売になったのだが、僕も久々にポケモンのゲームを購入しまして。
(以下軽いネタバレ注意)
約10年間ポケモンのゲームに触れず、その間の変遷に関して何も知らない、浦島太郎状態でポケモンSVを遊んだ瞬間の衝撃。
圧倒的ボリューム。圧倒的画質。圧倒的ストーリーの良さ。あっと驚くエドシーラン。
いやぁすごいゲームを買ってしまった。ショートケーキのイチゴが最後まで食べられないかのように、コンテンツを終わらせたくなくて未だに二周目のジム戦をせずに放置してしまっている。(面倒だからではない。)
僕がポケモンを買ったのにはいくつかの理由があって。
そのうちの一つに子どもとの話のネタづくりっていうのがある。職場にくる子どもたちとか、小3の従兄弟とかはポケモンが大好きで色んな話をしてくれる。それについていけないのは困るなって思ったので。
では実践です。
こども「〜タウンのジムリーダーの〇〇が出してくる☆☆強くなかった?」
アサノ「…うん、強かったね。」
覚えてねぇのである。
いや、覚えられないの方が正しいかもしれない。
子供の頃から遊んだ「ポケットモンスター・ダイヤモンド」のジムリーダーのいた街・使ってくるタイプ・エースのポケモンは今でもとてもよく覚えている。だからこういうポケモンの知識は覚えやすいものだと思っていたのだけれど、全然そんなことない。ゲームをしているはずがテスト勉強になっている。
とまぁ記憶のメカニズムって本当に不思議なものだと感じる。全く覚えていないもの・すごくよく覚えているもの。ものすごく定着している大していらない情報・心の底から大事したいのに忘れてしまっている感情。
そういえば何かのテレビ番組で見たのだけれど、人間は特に嫌なこと・悲しいことの記憶をよく覚えている生き物らしい。
それは一種の防衛本能的なもので、我々は二度と同じ状況を繰り返さないようにするために、話のシチュエーション・光景などの周囲のあらゆる情報を収集し、それを記録して備えるのだそうだ。
そう思うと何の前触れもなく昔の嫌だったこと、忘れたい失敗を鮮明に思い出してしまうことにも納得がつく。
スタートダッシュで大きく出遅れ、その後中高6年間沈没する原因となったであろう1年3組の教室。特に英語と国語の授業。
観覧車事変。漫画喫茶。
クソッタレ当たり屋。
大学1年時の英語の授業での逆ギレ事件。
今この文章を書いているだけでも押しつぶされそうになるのだが、こういった記憶が急に襲ってきて、朝方に公共の場で無意識に「疲れた」「もうやめてくれ」と口に出してしまうことがある。タチが悪いのは、一度思い出すとしまい込もうとしても、まるで桐のタンスのように次々と記憶の棚が開いていってしまうこと。
私はただ何よりもこの光景から逃げたいのに、逃げるために思い出さないといけないという皮肉。
こういう嫌だったことを忘れるためには紙に書くといいらしい。だから私はここに書き出すことにしてみた。何年も前のことを引きずってしまう私がこれで少しでも前を向ければ。メンタル激弱なので。
記憶と五感の結びつきもすごいメカニズムだと思う。
匂いで一定の状況とか人を思い出したりするっていうのはよく聞く話だし、体を動かしながら勉強するという暗記法も有名だと思う。
でも音楽好きとしては聴覚と記憶、特に音楽を聴いているだけなのに特定の感情とか、光景が浮かび上がってくることが往々にあることが面白いなって感じる。
例えばPUNPEEの「MODERN TIMES」という名盤があるのだが。
このアルバムを大学2年生のときに狂ったように聴いていて。あれから3年経つけれど再生ボタンを押すたびに国立競技場とか、千駄ヶ谷のあたりを散歩していたときに耳に届いた新しい衝撃を鮮明に思い出したりする。
あとは先日登った高尾山。リフトで登っていくときに流れていた”Isn't She Lovely"がどこかしっくりきてしまい、「高尾山=スティーヴィー・ワンダー」という奇妙な等式が自分の中で成立してしまった。ハーモニカの音色に合わせて浮かび上がる青空と自然。
あとは僕がこの世で一番好きな曲なんだけど、tofubeatsの「水星(feat.オノマトペ大臣)」。イントロのピアノ、シンセからもう夜のキラキラした、でもちょっと危うい感じの雰囲気が浮かび上がるのです。
ふとしたときに「あっ、水星聴きたい気分」となって必ず再生し、「間違いなかった」となる。その積み重ねもあってか毎年Apple Musicの個人的な年間プレイリストに入ってくるこの曲。
1年前にそんな年間プレイリストを聴きながら徒歩で帰っている最中に突如として強烈な腹痛が。周囲は住宅地。コンビニどころか公園もない。ひたすら歩き、トイレを探している僕。焦り、痛み、苦痛。
そんなときにイヤホンから流れてきたのは耳馴染みのある、あの優しく、危うい感じのピアノ、シンセ。
人間は嫌なことの記憶をよく覚えている生き物らしい。