僕たちはまるで花びらのように
3月29日。僕は板橋駅にいた。
親戚からの卒業祝いをバックにしまい、美味しいご飯で腹を満たす。そして帰路につき、客同士のトラブルで遅延している池袋方面の電車を寒空の下待っているところだ。
暇だったからベンチに腰掛け、僕の好きな雀魂というゲームで遊んでいた。残念ながら東風戦は3着でゲームセット。
その瞬間だったと思う。僕の後ろから今までに聴いたことないほど大きな金属音がした。大宮方面に向かう電車がホームに滑り込んだ瞬間。多分急ブレーキ音。
「線路の様子を見ないでください。」
怒号にも似た声がする。青いバケツを持った駅員が血相を変えて走ってくる。
様子を見ようとして群がる野次馬。
ホーム上に響き渡るサイレン音。点滅する非常停止ボタン。
「人身事故が発生。男性が飛び込んだ模様。」
垂れ流された業務放送。
自分は生きているし、生きていたい。でもその3メートル後ろで別の人がこの世から消えようとした。その事実だけで頭がパンクしそうになった。息が詰まった。そして恐怖を感じた。
星野源さんは『よみがえる変態』という著作(エッセイ集?)において「甘美な誘惑、綺麗ごと、そういったものにカモフラージュされて気付かないが、ここが、この世が既に地獄なのだ。私たちは既に地獄をガシガシ踏みしめながら、毎日生きているのだ。」と記している。彼自身、突然脳に大病を患い、死の淵にどん底に追い詰められたからこそこのような文章が書けたのだろうと思う。
翌日、3月30日。僕は大学の友達と楽器やお菓子を持ち寄り、ピクニックをした。社会人になるまでにやっておきたい夢の一つだった。主催者ながら30分遅刻してしまうという失態もありながら、竹下通りでクレープを食べたり、キャッチボールしたり、歌ったり、桜の花を見たり。
その瞬間一つ一つが美しくて、尊くて、儚くて。
そんな思い出もいつか忘れてしまうのだろうか。
忘れてしまうといえば。
3月27日のレコ発。一瞬で全てが飛んでいったみたいだった。それくらいバタバタしていたし、充実していた。飲み明かし、語り明かして、夜を使い果たした。でも悲しいことにどんな話をしたのか部分部分でしか思い出せない。もしかしたらすごく大事なことを言われていたのかもしれない。
風俗行くの勧められたのは覚えてるわ。
すごく楽しかったはずなのに、それを断片しか繋ぎ止めさせてくれない世界はやっぱり地獄だ。残酷だ。
でもその断片が自分の気持ちを支えて、浸らせてくれるとするならば散りゆく花びらのように儚いこの地獄も悪くないのかもしれない。
きっと人によって地獄を感じる瞬間は様々だと思う。最近、僕は入社してからの新しいコミュニティ作りに恐怖を覚えているし、どう思われているのか怖い。下心ありそうとか思われてないかな。同期はみんな優しいから助かってるけど。
そんな地獄を紛らわすために、このブログを書くし、サウナに行くし、音楽を楽しむ。友達に会う。話す。
あなたはこの地獄をどう楽しむか?
もう何が書きたいかわからなくなってきたけど、とにかく死ぬまで生きるしかない我々の至上命題はそんなことだろう。
なんて路面が色付くこの季節に思っています。
新生活、頑張りましょうね。
ライブはだいぶ先になるけれど、しっかり準備します。今から楽しみで仕方がない!
遊びにきてね。
ドラム アサノ